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15.06.2020 

matohu 「かざり」コレクション@onomachi α

05.06.2020 

「かざり」

 もしそこに素敵な服も、おしゃれなアクセサリーも何もない、見渡す限りの草原にあなたが立っていて、自分や恋人を美しく飾ろうと思ったらどうするだろう。深い茂みに咲く野の花を摘んで、そっと髪に挿すかもしれない。「かざり」という日本語の語源は、「挿頭」かざし、つまり草花を「髪に挿す」ことから来ているらしい。そんな素朴で愛に満ちた仕草から、遠い人類の装飾文化が始まったのだと想像するのは楽しい。 「かざる」ことこそ、人類の普遍的な欲求である。 様々な歴史がそれを雄弁に物語っている。装飾や工芸、建築など、あらゆる分野の装飾が世界中で花開いてきた。日本ではどのように発達したのだろう。最初に現れた「かざり」は、とてもユニークな縄文文化である。特に、火焔土器と呼ばれる一群は、土器を焼く火炎と黒煙が、蛇のように渦巻きそのまま凝結したような造形だ。その後大陸文化の影響を受けて、弥生、古墳、奈良時代と洗練が進み、国風文化が育ち始めた平安時代には、独自の服飾や建築様式が生まれていった。特に、貴族の愛した蒔絵や料紙装飾などは雅な日本のかざりと言えるだろう。鎌倉、室町時代は、仏教を中心とした大陸文化が再び根をおろし、貴重は舶来の器を飾り立てる「座敷かざり」が成立する。いまでいう「床の間」のしつらえの原型だ。やがてそれは静謐でひえ枯れた「侘びの美」に結実する。桃山、江戸初期は、同時に対局のかざりが躍動する。戦国武将の奇抜な「変わり兜」は、サザエやトンボ、ウサギの耳や水牛の角などがモチーフになり、陣羽織も派手に彩られる。そして極めつけが、日光東照宮の建築装飾。これは情熱的な生命力にあふれている。やがてこの熱は、江戸時代に発達した歌舞伎に受け継がれ、また東北のねぶた祭り、京都の祇園祭、唐津のくんちなど全国各地のお祭りに今も生きている。日本の「かざり」の歴史を眺めると、土着の生命力に満ちた激しさと、外国の影響を独自に洗練させた静けさが、矛盾しながら一つに溶け合っているように見える。お互いに相反するものが存在してこそ、文化は豊かに発展する。その揺れ動くプロセスそのものが日本の装飾文化の総合性を育ててきた。「かざり」という美しい言葉の由来を思う時、私たちはいつしか太古の草原に連れ戻される。飾るものがない時に、人は何を探し求めるのか。その答えが「一輪の花」であったことに、あらためて日本人と自然の根源的なつながりをみる思いがする。                                           「かざり」コレクションより                                                         matohuデザイナー 堀畑裕之 関口真希子                         
03.06.2020 

matohu 展 「かざり」